アースヒーリング

谷口令郷のプロフィール、活動記録です。

アースヒーリング

22回アースヒーリングを迎えて

〇アースヒーリングの足跡

早や22年の歳月を経て、歩みつづけて来た「アースヒーリング」(地球様の癒しのみこころの祭祀)。一回目は富士神界の日本総産土社として由緒ある延喜式内神社の岩楯尾(藤野市)神社で、その地域に同名の社があるが、夫婦杉が天空高くそびえたつ「ご神木」が神代の世界を想起させられる。先代の濱野宮司様は、神仕えをつづけられて神示を得られて満月の日に迷える霊魂を救う「満月祭」を創始された。宮司様のお許しをえて第一回を執行する。その地その場でさせて頂いた処は、「生態系」が活性化されて観光誘地的な公園となり、地に足つけて「お祈りした」地面に「幸せの鐘」が設置され訪れた人々はその鐘を鳴らすとその地域に響きわたり、ドンドン広がって空中が清められる。再度訪れた時は「やはりこの場でさせて頂いた理由」があったのだと感慨もひとしおで、はかりしれない想いがこみあげる。
一回目~十五回目までが天の巻編で、十五回が終了して近江の国、多賀大社参拝させて頂き、地の巻のスタートとなる。十六回目は戸隠神社、その後一般の方々の参拝は行列となった。過去祭祀の土地は「アースヒーリング」の御力によって幾久、弥栄の環境に変換されていく。
十七回は花のいわや神社、十八回は天の橋立、十九回は富士河口湖、二十回は熊野の玉置~速玉~那智の滝~室古神社、そして二十一回目は日向の国、大御神社、その神社の遺跡は五千年前の縄文時代の龍玉(発見されたのは3.11の起こる数ヶ月前であった)。地上世界が大きく変わる前兆が(神界では起こっていた)あったのです。

〇二見ヶ浦オキタマ神社の手水舎に?

そして今回二十二回目は、天津神様の伊勢のご遷宮、国津神様の出雲のご遷宮と天と地を結ぶ世界が現象化される。その事を鑑みて「出雲」の地を予定していた。ところが住んでいる土地周辺が激変すると感じ、縁ある箱根の地に定めました。土地で呼吸をして生活している私達は「縁(えにし)」という大切な相互関係を、再度思考回路を切り替える必要がある時代に突入しています。
十二月の冬至の祭祀の時、参拝させていただいた夫婦岩のある二見ヶ浦の興玉神社の手水舎に永年(私の経験する限りでは30年位)参拝の方々が手と口を清める際に対象とする神様に願いを込める意味のシンボルとして「よみがえる」が安置されていた。それが撤去され、「満願がえる」に新装されていた。遥拝所で「幽魂安鎮」の詞を奏上すると、岩笛の響きが天空に拡がり「雁の群れ」が円く輪(和)を描く。その雁の一群は数時間に及びずっと小さいな群れが一列になって「西の彼方」へ~。見者に何かを語るかの様でした。(この地でマヤのケッアコラトルの現象化なのか?)この時、天と地を結び、これから「人」(間)と人とを大切にする、アースヒーリング「人の巻」の始まりを予感した。天地の初発の時より天と地の間の「空間」。これから人が生き生かされている自然界を「人としてどの様に生きるか」を問われる時代。この「間」の概念を薄っぺらにしないで厚い層にしていく事が「地球という存在を豊かにしていくと思います。

〇世論が告げる人生のヒント

以前と違ってマスメディアも「人の生き方」の考えるヒントを与えて呉れる情報が多い。東進スクールの林先生は子供たちの注目の人で、「人生はアイウエオです」と語り、人は愛(アイ)があり、運(ウン)があり、縁(エン)があり、恩(オン)がある事を忘れてはいけません。と短いワードで適確に人が忘れている大切な言語、想いをメッセージしている。彼の一番のキャッチフレーズは何といっても「今でしょ」です。今という時間、気づき、反応して言動する。この瞬時の行動力が、幸せになる為の身体的操作です。「心と体」の一体化した行動の生活です。
それには、「明るく」「清く」という思考が先決条件となります。そうなる為には天なる「太陽」への余託が良い条件となり効果的です。心が清く明るくなれば、正しく真直ぐに生きられるからです。絶大なる光一元の世界に生きる。人の心に光がないという条件では、迷いの中の判断となり暗い状態は正しい方向性を見出すことが出来ないからです。
古代は、太陽を灼けた火の塊りと見ていたわけではないと思います。「お天道様」といって生きる為の信仰の対象としていたのは戦(敗戦)前の人はよく知っています。理屈でなく事実として受け止めていた。太陽崇拝は世界中で珍しくは決してないのです。
私達の古層の祖先達は、太陽神との関係を霊縁と血縁とを考えていたようで、霊縁をヒツギ、そして血縁を穂(ホ)ツギという観念でしたから、霊体(血)一致での祖神でありました。

〇眠りの中から光が発動、眼を開いても画面

ですから、神様が新しい太陽世界を顕現させる為には「霊(ヒ)」の再現力を現代人の研究者達は待たれたのです。それがアマテラス大神様の前(サキ)のカガミ(ヒボコ・ヒガタ)だった訳です。その中枢のエネルギーが中心を貫くと肉体的存在の神様も力が発揮できる。
二十二年を向えて、その道中で、山頂へ登る様に大きく拡がる裾野の状態がよく観える。時の力は、日本の霊山(富士山)が世界的に認められてこのコラムを記している今、世界遺産登録が時々刻々と訪れている。本当に「今でしょ!!」であります。
間(あいだ)の概念に気づかせていただけた経験を記しますと、今から3~4年前かコラムで記しましたある日の就寝中に起った神秘現象です。眠りについて数時間した時、眠りの中で前頭部の額が円窓のように開けて外側が明るく輝いている。咄嗟に驚き眼を空けると額から光が放射して外側にある天井に図形や風景が色彩画面に映し出される。夢の中の出来事かと思い眼を閉じると額から天井の画面が見える。開いて光っている、閉じても光っている。その様な現象が数ヶ月後も起って、その様な経験ある人に質すと「それは高御座(タカミクラ)で神様の最上の魂の発源」という。額からの光線は天井に届く、脳内が神様の御力で「化学反応」したのでしょう。余りに畏れ多い事なので、他人には話す事は出来ない。大変有難い事ですが地球様の癒しのみこころ・日向の神子になる日と「縁ある人達に、より多くの喜び

〇十万年前の同一体験

より多くの幸せ、そしてより多くの神々様のみこころが伝わります様にと日々ご神前でその方々がいる如くお祈りさせていただく事のみの生活。自分勝手を慎しみ、相手の話を聞くことに専念している内に、私ごときものが「タカミクラ」を授けられるなんて身のちぢむ思いです。腹内に「直日の扉」を開いて頂いた以上の驚きでした。
その事象を多面的に究明していくと、考古学に大きなヒントがありました。
旧石器を使っていた人たちは、洞窟を住居や祭儀の場として利用しながら、狩猟採集の生活をしていた。その人々がピレネー山脈の裾野一帯に点在する洞窟の奥深くに多くの絵画を残しています。ほとんどは写実的な動物の姿を描写したものですが、その中に、まったく創作意図の不明な抽象図形があることでした。旧石器時代人はよく洞窟の奥の暗闇の空間をつかって、動物の増殖を願ったり、子供が成人するためのイニシェーションの儀式を行っていたと推定されている。子供達(若者)を全く日の射さない真っ暗に長時間隔離して、その中での様々な体験をさせる。壁画に残された抽象図形は、その時の体験なのでしょうか。
(その事象も新石器時代に入ったケルト文明の遺跡からも大量に発見されている)
(南アフリカのサンの人達の先祖が残した壁画との一致点)
太古の人々は自己の中に神性が宿って或る行をすると超越的知性が外側に形態(形象)を映し出すことを日常レベルで知ってたのでしょう。

○抽象画の謎に科学は迫る

20世紀の後半になり、抽象図形の謎を解く糸口がつかめられる事となる。心理学者達は幻覚作用を起こす物質をつかい、知覚・心理実験をすすめる。この過程で、太古からの抽象図形が浮かび上がる。LSDを服用すると(服用してはいけません)大脳の視野野で形成されるイメージの解体現象をおこす(普通は外から採り入れた光の情報をもとにして、大脳の中でイメージを再構成して視覚で経験される像を作り出す)。幻覚物質の作用で、その過程で一時的に解体をおこす。すると脳内の視覚神経の内部で外からの情報に全くよらない状態で、自然(本然的)発輝が起こり、内部から光が放射されるようです。その光は様々な「かたち」をとり流れる光は抽象図形に外からの力が加えられないまま、自然に発生する。これはまさに人類学者がアマゾン奥地の原住民の儀式とまったく同じ「光のかたち」(形態)だったのです。この状態のことを哲学では「先験的な状態に出現するエイドス(形態)をそなえた光」という。プラトンもピタゴラス派の密儀でその事を知っていたでしょう。経験に汚染されない純粋な状態で働く心。いつも記してます「アラヤシキ」を思い起こして下さい。純粋な超越的な領域で働く知性はエイドス(形態)をそなえている。現代になって物質をつかっての「純粋な超越的領域」な知性が存在することを解明しましたが、その様な薬物をつかわずその領域を知るメソッドが

〇薬物なしの本自然での内光からの心

チベットの仏教の或る派にある。光の射さない完全な暗黒の部屋をつくり、その中に数日(秘す)こもり、自分の「菩薩心」の真実の姿を、光のかたちとして見届けるという修業。時間が経過していくうちに、視野経の奥から自然に光が放射され、日を経る毎に光がほとばしり光の図形が美しい形に変化される。その図形こそ太古の人達が内部視野として持っていた「知」と同じものです。この修業法はチベットでは数万年前からの伝承であると語っている。この事を彼らはこう説明します。経験は「心」がつくり出す。心には有情それぞれに特有な構造があり、それに従って経験世界が決定される。心の構造が経験を決定し、経験が「心」に刺激を与えて幻想をふくらませる。この相互プロセスを私達は生きている。この「心」を突破したところに「菩薩心」の領域があらわれてくる。それは経験によらず、いかなる「心」の構造にも左右されない。純粋な知性の働きが、光の形態の運動といっしょになって「菩薩心」をつくっている。
(この記は前コラムに記している簡潔説明)
神仕えさせていただき、「常世の磯波寄せる伊勢の地」と訓まれた常世の世界。常世とは「永遠に変わることなくつづいている世界」その御力は「オキツカガミ」と「ヘツカガミ」この御カガミによって、天と地との間、地球上に生を受けている存在と存在の間をつなぎ本当の意味の本来の調和世界が訪れる。それぞれは「縁」を有像多像する世界です。

〇心の御柱は内と外の二面で輝く存在

お伊勢様のご遷宮の心の御柱にもこの原理法則が秘されています。実は心の御柱にもご神名がありますが、ここでは秘します。・・・八咫のカガミの神様でもあります。カガミは光によって輝く存在、その為には日に向う必要がある。又そのカガミは光を反射する太陽と似た存在でもあり、つまり、自分自身光を放つ太陽神の依代ともなる。
(日光に向うことで輝やき、そして自ら輝やく)
新装されたご遷宮によって常世の世界が訪れてくる。そのメッセージにチャンネルを合わせられるかどうかがこれからの課題となります。
一個人の外側から見た形態(身体)では、先ずヒタイ、延髄、頸骨、壇中(胞)、腎、仙骨、脊柱、尾呂、くるぶし、湧泉の気の流れが清浄化の励行。
来る時代は、地球上、特に地中、地表、一個人の伸長位(約2m)の範囲が、新しい細菌や生物等の発生が地熱の変化で異常となる。特に足裏部に影響あり。人と人との関係も足元を見られる。足元をすくわれる。足が乱れる。出足をくじかれる。足げにする。足下から鳥が立つ。等々、日常生活での注意事項を記します。
良い意味もあり「足を万里の流れに」「足るを知る者は富む」
内面と外面を流通よくする生き方といえます。

2013年6月21日 夏至の日記す

谷口令郷
日目大象