アースヒーリング

谷口令郷のプロフィール、活動記録です。

アースヒーリング

<縁結びから生命の花ひらかせて結実へ>

<縁結びから生命の花ひらかせて結実へ>
生命は神様のみちから、一つの力では結実できない様になっている。花は生命の芸術品、めしべとおしべが揃っている。そこに生命の化身の虫や鳥達、そして生きとし自然の理。蝶が舞う、風がそよぎ、めしべとおしべが縁を結ぶ。
生を歓声に乗せて生命は縁を求める。それは他界の存在。
生きる世界は相関の縁の結び合わせ、しかし互いに結ぼうと知りもせず、知らされもせず、ちりばめられている存在同志。無関心でいられる関係、ときには煙たく思うことさえ許される関係。そのようにきゆらさゆらゆるやかに世界は構成されている。味なものなのか?寒い中で花が咲いている。すぐ近くに雪がふる。雲間から光がそそぐ。白い雪が光をまとって縁となる。眺める花は面影を語る。!?えっ「生命誕生」の古層、えっ「胎児」。回想映像が再生される。
私もある時は誰かの為に白い雪だったろうか、あなたもあなたがたもあるときは私の光だったかも、縁とは生命を完結させる存在かも、永遠につづいている存在かも・・・・
-合掌-

<あたまの心と心臓の心の縁むすびへ・動くパワースポットのお役割へ>
両ご遷宮(伊勢・出雲)によって新世代の幕開け。伊勢には毎年冬至の参拝(30年になる)出雲へはご面談された数多くの方々の「ご縁が結ばれ」その結実として「子宝を授けられる」最近、急増。この機会に「お礼参り」に行ってまいりました。そこで国造りを受け継ぐ「出雲国造家」との奇しき縁が「直結」している実証を得る。(古の力の凄さ)この心体で「縁の発生源」を感得できた次第です。面談は、スガタ・カタチを知る。その事が開運の基本。今精神世界は「スガタ・カタチ」のない内容が多い。

<お正月を思い出せる贈られた手製の餅>
新年に祝いとして飾る「鏡餅」は、私達に無言の語りかけをして伝えてくれる。昨年の12月2日「手づくりの餅」が送付されて来た。手づくりなので、自分も「モチつき」を体験した思い出がよみがえる。モチ米をセイロで蒸して、ウスに入れて、キネで丁度ツキやすいようにまとめ、力一杯、歯を食いしばって打ち続ける。その合間に「手返し役」の人が少量の水を手のひらにつけて、二人の呼吸を合わせる。二人の呼吸を合わせたそのモチを早速食べる。一口かじって手に持ったモチはゴム糸を引く如く伸びる伸びる。このモチをツイタ人達のエネルギーが伝わって胸が熱くなった。市販されているモチは機械でつくったもの。その差はレキゼンでした。
アイソン彗星のコラムに記しました様に、生命物質をつくる蛋白質をつくるアミノ酸は地球だけでなく銀河系の宇宙空間に充満していることが、かつての隕石落下時の分析により明らかとなる。太古神道では「泥の海」と表現した。それは短期間で火の玉が冷え始めた時であろう。こうやってきた生命物質は宇宙そのもの、地球生命の元素と人間の元素も同質で「太陽」「月」「地球」も同じ元素で成り立っている。太古の人達がそのことを伝える為の「鏡餅」をご神前や床の間に飾って新生を祝った。その餅をちぎって小さくした存在が人間ですよと語る様に。ギリシャや古代インドで伝えられる「人天交接」も同じこと。「大宇宙」と「小宇宙」の共振の波は「内臓系波動」という世界につながります。(鏡餅も二段に、三段にする風習がある。それは地層につながる先人達の伝えです)

<自然から離れれば離れる程、自閉的に>
東北大震災そして大津波の後、暴風、暴砂の為植林された松林の中で、たった一本生き残った松。それを見る人々にどれほど希望、勇気を与えたかはご承知でしょう。
その「一本松」は何を語っていたのでしょう。何故それを見る(眺める)人達に感動を与えたのでしょう。現代の人々は自然から知らず知らず離れてしまった。大昔の人々はごくごく素朴に自然というものを感じとっていた。素直に体内に感じとっていたようです。「小宇宙という言葉が残っていることでもわかるでしょう。いつしか四季の移りかわりに関係なく、自分に都合のいい生活空間を勝手につくりあげる。農耕文化発生から始まり、「耕す」という母なる大地の皮フに手を加えることで「両双の剣」の扱いをする。良い方へ耕すか、悪い方へ耕すか。その知恵の置き場所にかかっている。
一本松という植物は、私ごときが記述するのは申し訳ないですが、多くの人の感動は「ハラ」で感じた「「大宇宙そして自然界」との交響(ハーモニー)に真に全身全霊を捧げつくしていた」神様のお使い的な存在で、そのからだはいってみると「天と地を結ぶ巨大な循環路の毛細血管」にたとえられます。丁度、人間の内臓機能と同じです。全ての生物はこの内臓機能が備わってます。動物や人間は「感覚・運動」をもち、移動させて生きています。現代人は使い過ぎです。この「感覚・運動」は脳の中枢、つまり頭脳。「しかけ、しくみ」を思惑(科学)で処理する。植物は「目先きや変化」にふりまわされない。つまり「あるがまま」です。

◎眺めるとは、ハッキリしたスガタ、カタチをして顔があって、先天的に記慣されているものとを対比させる。それは面影。そんな生き方は心を開く(反対はうつ病)

<右の眼の開扉がこれから大切>

2月のコラムのお正月が三つあるについては現在はほとんど忘却の彼方。全ての基本には三つの次元がある。生命という、運命ということも、この事に直結しなければならないと思う。古事記の「三柱の神は独神なりまして身をかくしたまひき」とあるのは、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神がかくれ天之常立神、国之常立神の二神が表面に出てくる。
この事は、命のメカニズムを説明しようとするもので、成り立つ存在は高天原そのものです。
そして、イザナギの神様が黄泉の汚れを祓い、日向のタチナバの小戸のアハギハラで身を禊祓ひされた時、左の眼、アマテラス大神様、右の眼、月読大神様、鼻が須佐之男大神様です。神話展開の多いのは日神、素神です。かくれた?かくされた?「月の中にこそ生命の本質があると思う。」

<生命が誕生するのは「月」のみ力> 三段重ねの鏡餅!!
昔話―で思い出す(回想世界)、竹取物語に謎がある。秘されている。回想(眺める)する「心の眼」があるかどうかで内臓(ハラワタ)波動が共振する。その物語の裏にかくれているものこそ命のあり方、命の機能が隠されているのではと思う。しかし一面的(物語り)な解釈をしている為、秩序性は忘れてしまっている。「竹取物語」では、竹の中に「かぐや姫」という生命が誕生し、天界に昇っていく。何故、月夜の晩の満月の時なのか、ここのところが見過ごしている。物語りのイメージだけで終わっているのでしょう。この満月の時に重大な謎、そして生命を解く鍵があることを知らないのでしょう。
この謎を解く日が去年の八月一五日の満月の時間、第一回アースヒーリングの地、岩楯尾神社で神界(太陽神界)と幽界(月神界)の間をつなぐ蝶の出現でした。夏ですので素肌の左の二の腕に5~6秒とまり、大祓祝詞が始まる前に、二度目の蝶の登場。合掌する左の手の甲に5~10秒も停まり、ご神前の参拝者の置く帽子の上にとまった。その満月の時間は日、月、地球が垂直につながっている「丁度、三段重ねの鏡モチ」の様に、おそらく「月」よりの使者、かぐや姫様のお使いの蝶であったのだろう。専門的ですが、音霊ではツキはツ(18)キ(10)で合計28数となる。この数28が(形体・物質面)のもの。次にイノチはイ(40ヤ行のイ)ノ(22)チ(20)の合計は82数。ツキ(28)とイノチ(82)は数が逆投影している。月満ちて反天する。逆投影とは、レンズとローソクの関係。母胎内の胎児は頭を下に育ち、産まれると頭が上になる。両眼の仕組みも外側を見る眼は内側では映像が逆になっている。その眼の右の眼の神秘。それとつながる左脳。それは日本人、ミクロネシア、ポリネシア系の人達の左脳には「生命」の実相を識る謎が?!つまり左脳の中に右脳的ハタラキがある。そこに注目せよとのメッセージ。

2014年2月6日
谷口令郷
日目大象